(今回もフィギュアスケート選手ネタではないのであしからず)

スターウォーズ過去6作を録画しなきゃとか様々な理由でクリスマスが終わったころにテレビ録画用のレコーダーの中身をチェックしました。1年近く見ていない番組もごろごろ出てきました。その中に昨年のアカデミー賞授賞式の開始からなぜか38分だけ録画されたものがあったので、消去するために見たわけです。

オスカー授賞式に関しては冒頭の部分が撮れていればじゅうぶん。いつもオープニングだけ楽しみにしているからです。なので、司会者のドギー・ハウザーのオープニングはしっかり見つつも、残りはざっと見ました。で、その38分の中に、助演女優賞の授与があったのです。メリル・ストリープ19回目のアカデミー賞ノミネートでした。ウィキペディアでのメリルのページにはもはや彼女の様々な受賞歴がメリル・ストリープの受賞とノミネートの一覧として別立てになっています。

(ところでメリル、と書くとフィギュアスケートのファンの方々の100人中99人はメリル・ディヴィス様のほうを思い浮かべてしまいますよね。でも、ストリープさんのほうが私の眼にとって付き合いが長いのでここではメリルと書きます。)

ノミネート17回目のとき、メリルとしては1982年の「ソフィーの選択」以来3つめとなるオスカー像をマーガレット・サッチャー役でもらうことになりましたが、そうなのです、彼女ほど多くアカデミー賞を「逃した」俳優はほかにはいません。ご本人も何かの折にそんな話をしていたと思います。

ですが、今回の助演女優賞の紹介のときも、そしてこれまでメリルが逃してきた年も、10回中8~9回ぐらいは「これ、演じてる女優がメリルだという先入観がなかったら受賞してるよ。単純にほかの4人と比べてしまえば全然うまいもの」と、その演技のクオリティーの高さを私は感じてきました。彼女の演技が好きな理由として一番に挙げたいのは、技術を感じるからです。多くの人はそれが鼻につくと言いますが、役者の役に対する感情移入なんてある意味、別に役者であるとかそうじゃないとか関係ないし、素人だってやろうと思えばできるのだから、プロならまずその人物を演じる技術でしょ?って私は思うのです。その技術の上にはじめて、役者本人の感情ではなくその役の人物としての感情を乗せるというか。

メリルは、今時の言葉で言えば「中の人」としては、気取りも気負いもなく、ユーモアがあって、少々自虐的ですらあるキャラなのですが、意外とあくの強さがありません。最近ディズニーは女性蔑視者だったというコメントが話題になったそうですが、そういうポリティカルな主張を公の場でするのはかなり珍しいし、ほとんど記憶にありません。気取りも気負いもないし、個人としてあまり自己主張をしないせいか、演技するとなるとすっとお面を付け替えるようにあっさりと演じる人物になれてしまう。それぞれの役を見ていても、必ずメリル・ストリープらしさを感じさせますが、その「らしさ」は「中の人」のキャラクターを感じさせる「らしさ」というより、彼女特有の巧みな技術がそうさせるようにみえます。というわけで、ここで、最近の2つのノミネート作品を除く全17作品での彼女の演技の動画をお借りすることにします。

たとえば『プラダを着た悪魔』の《アナ・ウィンター》なんて、これメリルじゃなくてほかの女優が同じクオリティーで演技してたら絶対受賞してるでしょ?って思いますよね。

もともとこういう賞レースの場合、役者の演技の力量というより演じた役のドラマ性がそのまま力量として評価されがちですよね。たぶん、メリルの何がすごいかといえば、演じた役が社会問題を提起したり複雑な性格・事情を抱えていたりといったドラマ性が少なめでも、説得力ある演技をしてしまう、要するに彼女は自分の演技力だけで勝負できてしまうことなのだと思います。

実際、ソフィーの選択のソフィーは演じた役のドラマ性がとんでもなかった。その一方で、それ以降、マーガレット・サッチャーを演じるまでの間ノミネートされた作品で演じた役はすべてソフィーほどドラマティックではなかったわけです。

つまり、メリルの場合は、ずっと《ソフィー》の「これほかに誰が演じられたっていうの?」としか言いようがないあの複雑な役が、30年近くもの間ずっと自分自身の演技を評価される上での参照対象とされていました。ほかの女優よりもいい演技をしているか、とか、絶対的にすばらしい演技をしたかどうか、というのではなく、彼女が自分で演じたソフィー以上の役どころを演じられるかどうかが問われてきたといっても過言ではない。でも、人間の弱さという現実を「静かに」突きつけるあのソフィーを演じきる以上のことを求められてもどうしろって言うんだ?というほどの名演ですよ、あれって。

そんな中、メリルはくさることなく飽きることなく、こつこつと淡々と30年役者の仕事を続けてきました。しかも、演技力という意味ではもしかしたらソフィーを上回るほどの演技を何度も何度も私たちに見せてきたわけです。最高のできなのに最高だと認められなくても30年近く最高のレベルで演じ続けてきた。ただただ脱帽、頭を垂れる次第です。

映画に限らずどんな分野でも、優秀な人ほど求められるハードルが高くなるんだなあとつくづく思います。

メリルっておそらく4人のお子さんたちがお腹にいた時期以外、女優の仕事しっぱなしなんですよね。いくらオファーがたくさんあるからといって、なぜそこまで仕事をするかと思うのです。19作というのは彼女がアカデミー賞にノミネートされた作品の数ですが、実際に出演している映画なんてもっと多いわけですから、もうね、これはお金稼がなきゃいけないとか名誉欲がそうさせるとかそういう次元じゃない。ただひたすら役者という仕事が好きなんだろうなとしか思えないわけです。映画史に残るような名作になりそうになくても興味を持てば出演する。そして最高レベルで演技をするのが当たり前の人。むしろ、メリルが出てるおかげで凡庸な映画でも佳作なみの仕上がりになるわけですよ。

なもので、マーガレット・サッチャーでいよいよもうこれはもう一度メリルにオスカーをあげないと受賞する基準のつじつまが合わなくなるんじゃないかって投票権持っている人たちは焦ったんじゃないかと思います。でも《鉄の女》は映画としては別にたいしたことないプロットだし、見ていてもなんだか消化不良な内容です。

ソフィーの選択は観るべき映画だと思いますが、そうでなければ原作小説読んでみてください。昔、あの映画を見たときそれこそ打ちのめされたような感じがして、原作も読んだのですが、あのすごい映画でも原作ほどの複雑さを描ききれなかったんだと驚きました。ものすごく悲劇的な話なのに、読み終えたときに変な爽快感があるんです。ソフィーの最後の選択は、もうそれでよかったんだと思ってしまう。

 

映画も見ず、本も読まずに内容を知りたいという方は、ここに最初から最後まであらすじがうまくまとまったネタバレがあります。

ところで今気がついたんですけど、もうこの翻訳書籍、絶版なんですね。私は10代のころ、ハードカバー版を買ってもらって読んだのですが、引っ越したときに手放してしまいました。今は、文庫版でさえ古本でしか手に入らないようです。せめて電子書籍化すればいいのに。(ちなみに原書ならばキンドルでもペーパーバックでもAmazon.co.jpでも購入できますが…)

それから、メリルってどうせ受賞できないとわかっていても、律儀にオスカーの授賞式に来るんですよね。しかも毎回のようにメリル・ストリープのノミネート回数の多さネタで誰かしらに茶化されて、そのたびに適宜リアクションする彼女が大写しになるの。おそらく授賞式での演出として織り込み済みだからこそ必ず来てくださいねと招待されている訳なんだろうけど、いちいちそういうところも義理堅くてすごいなあって思ってます。