Twitterでオーサーコーチは選手の前評判を重視するから、とツイートしたところ、「前評判」とは何なのかという質問をいただき、これを機会に審判の公平性についてと、審判の評価をうまく演技に活かしているといわれるオーサーのコーチングについての本についてなど、いろいろ考えた記事をまとめてリンクを張ることにしました。

読み返してみると、なぜそこまで私はカッカしているのかという気もしないでもないのですが、どうも最初の記事のISU技術審判員の岡部氏の「聞きに来てくだされば、いくらでも説明しますよ」という言い方にまずカチンときてエンジンがかかったからなんですよね。そこまでいうならなんで最初から「公式に」選手全員の演技についての講評を出さないの?って脊髄反射的に思ったんですよ。

私とか発想が卑しいので、仮にも「審判」からそういう言い方でもちかけられると暗に袖の下でも要求されてるんじゃないかとそっちを疑っちゃいますしね。現代日本の場合チップ文化ではないのでその言葉に深い意味はないのかもしれませんが、実際、普段過ごしている土着文化の背景によってはそう解釈する人出てきそう……。

それはそれで置いておきましょう。

そして締めのところのこのくだり

どうしたら見ている人がもっと楽しめるか、どうしたら選手がより素敵な演技に挑めるか、それを追求することが、ルール改正の本質なのです。

より素晴らしい競技にしていくために、ルールが競技を先導していくのです。

最初の文の意味はわかるんですよ。でもそれに続く締めの文章がなんだかなと思ったんです。「ルールが競技を先導していく」という部分。たぶん「先導」という言葉に、競技で一番偉いのは審判だというおごりを感じたからですね。

ルールは基本ですよ。しかも、誰にもその基準が等しく当てはまらなくてはいけない。まずこの前提が正しいかどうかの疑問も私は抱いているんですけど、それはともかく(もうこうやってとりあえず置いておかないと話進まないですよね。まったく)、

やっぱり先導って言葉は行き過ぎなんじゃないのと。「ルールは競技における信頼性の基本なのです」「ルールは競技の信頼性の土台なのです」ぐらいにしておいたほうがいいと思いました。

あと、羽生君のバラードのジャンプ構成が再び変わるらしく、くどいようですが、3Aが最初のあのフレーズのところにパシッと登場するあの構成が印象的で好きだったもので、個人的にはかなり残念です。

ですが「いろいろ試行錯誤の時期なのではないか」というご指摘もいただいた上で、チーム・ブライアンについて自分が書いた記事なども読み返し、なるほど言われてみれば、一年のうちに色んなパターンを試すという考え方なのかもしれないなとも思いました。