スケアメが始まるのでこれだけは終わらせておかなきゃと重い腰を上げています。

私にとって『チーム・ブライアン』という本は、フィギュアスケートを観戦する人々にとっては非常におもしろい本だということです。この本がおもしろいということに何の異論もありません。(それから若手の育成という視点から読んでもね。)ですが、そのおもしろさというのは、読む前からあらかた予想はしていたこととはいえ、私が漠然とフィギュアスケート界に感じていた失望感を後押しした部分でもあります。実際、これを読んでからなんだか、特に競技観戦に対して嫌気が増してしまいました。真央ちゃんが復帰するというシーズンにもかかわらず、フィギュアスケートのニュースやテレビ番組を追うことをしばらくやめていたほどです。たぶん、私が今日まで感想を後回しにしていたのもそんな失望感のせいなのかもしれません。

真央ちゃんは心配ないです。そう思うのはジャパンオープンの手堅い演技を見たから、というわけでもなく、わざわざ復帰するという覚悟を決めた時点で、真央ちゃんはそれは結果がどうであれ自分は受け入れることを表明したのも同様だ、と私は思っているからです。実際、みどりさんがラジオでも言ったのはまさにそういうことですしね。

この本でオーサーが言っていることについて私が一番失望したのは、この競技は結局「前評判が大事」であるということを認めている点です。そしてこの本を読む人々の大半が「そうなのか」と疑問を挟むことないでしょうし、むしろ共感することでしょう。そしておそらく日本のフィギュアスケートの業界の関係者の多くがその方向に積極的であれ消極的であれ進んでいくのだろうなと強く感じました。

イメージ戦略ですよ。所詮。長いですが抜き書きします。

トリプルフリップに関しては、ヨナの才能を信じるだけで十分でした。フリップジャンプとルッツジャンプのエッジに関しては、年々判定が厳格化されており、ヨナはフリップが得意なのですが、たまにエッジでエラーをとられていたのです。気をつけて跳べば大丈夫ですが、実際に試合となると曖昧と判定されるケースがあったのでしょう。
私たちとしては、ヨナの実力をオリンピック前に証明し、自信を持ってバンクーバーオリンピックを迎えようと考えました。そこでまずオリンピックシーズンに入る直前の夏、私たちはクリケット・クラブでメディアに対する公開練習のイベントを行いました。名の通った韓国のテレビ局はすべてきましたし、日本のメディアも来ていました。ここが見せ場です。韓国も日本でも一挙に放送されるのですから。
ヨナは氷の上に降り立つと、すべてのフリップジャンプを決めました。ブーン、ブーンとスピードを出して、とても大きなジャンプを跳び、まったく失敗しないのです。彼女は必要なときにスイッチを入れる方法を知っていますから、オフシーズンとはいえ、これがオリンピックへのプロローグになることをわかっていたのです。
さらにオリンピック直前、2009年12月にも公開練習を行いました。オリンピック前では最後のメディア対応になります。これはビッグイベントで、カナダ、日本、韓国、アメリカなどからもメディアが来て、リンクサイドは公式戦さながらにいメディアがぐるりと取り囲んで、沸いていました。私たちが対応に追われて手一杯になるほどでした。
私たちには、ヨナのトリプルフリップのエッジが正しいかどうかをメディアが噂し、それを映像にとって確かめ、全世界に報道することがわかっていました。こういった場面で、やはりヨナはスイッチを入れます。ヨナは全世界のメディアの前で、またもブーン、ブーンとトリプルフリップを一つも失敗せずに降りました。もちろん正確なインサイドエッジで。私はみんなの前で、「どうです? ヨナのジャンプを見ました? 実に正確なエッジだ。すごい! なんて特別な少女なんだ。素晴らしい!」と言って賞賛しました。批判的な目で見ていたメディアももはや誰も何も言えませんでした。
 もちろん、彼女がトリプルフリップで一本でも転倒していれば、韓国以外のメディアはそのシーンだけ何度も放送するでしょう。しかしヨナは、すばらしさ以外のものは何も見せなかったのです。結局、フリップについて何か技術的なアドバイスが必要だったわけではなく、私たちはただヨナの能力を信じればよかったのでした。
第2章 キム・ヨナ 批判的な目で見ていたメディアも沈黙 P106~8

これ練習公開というところがミソだと思うんですよね。誰だって練習の時の方が試合の時よりも確率だってよくなるものですし、緊張感だって違うもの。これは曲通しでやったのかどうかは不明です(曲通しでやってあとはフリップならフリップ、ルッツならルッツとその部分を取り出して跳んだのかな)。だってオリンピックのような試合で一番緊張する理由って、マスコミの有無というよりも、ライバルの存在そして観客が醸し出す独特の雰囲気ですよね?

それにオーサーが「実に正確なエッジだ!」ってわめき倒したら、取材する人たちは彼よりはプロではないのですから、その言い分に流されますよ。取材する人はクリケットクラブの「ご厚意」によって韓国の国民の妹というビッグな存在である金妍児さまを取材「させてもらってる」んですよ。そこで面と向かってオーサーに「いやでも今のエッジ甘くね?」なんて言えるわけない。この私だって記者だったら先々のこと考えたらたぶん言わないでしょうね。

それと、あえて言うならば、金妍児の過大評価されていたところは何もジャンプじゃなくてむしろほかの3つの要素だったんじゃないかと思うのです。その辺のところには話を絶対に持って行かない、争点をジャンプに限定してしまうところがオーサーは策士だと思います。そもそも金妍児のこの触れられていない3つのスケーティングスキルについてこの本では驚くほど言及がないもの。すばらしかったの一言もなかったような。

とにもかくにも、オリンピック前にすでによい評判を立てておくというのが鉄則のようです。

福岡で開かれるグランプリファイナルでパトリックに勝つこと。それはもう私たちにとって現実的な目標でした。試合では2人とも演技の出来は良く、パトリックがひどい滑りをしたわけではありませんが、勝ったのはユヅルでした。パトリックは4年間ずっとトップを維持してきましたが、ユヅルが急成長して追いついた。勢いが違いました。
オリンピック直前、あのグランプリファイナルで何もかも流れが変わったように思います。ユヅルは自信を得て、パトリックは調子が狂いだした。余裕で勝つはずの試合で負けたのですから。メディア、ファン、その他すべてに対して「オリンピックはどうなるかわからないぞ」とユヅルはアピールしたわけです。世界の勢力図が変わる「うねり」に私は興奮しました。
第4章 ソチオリンピック  P184
ユヅルは運で勝ったわけではありません。ソチ入りしてからの練習でユヅルは非常に調子が良く、一方のパトリックは完全にピーキングで失敗して、みるみるしおれていきました。それを選手、コーチ、マスメディア、ジャッジのみんなが見て「ユヅルはなんて強いんだ、世界最強だ」という顔をしていましたからね。つまり試合は練習の時点で決まっていたのです。試合が始まる前からユヅルにはオーラがあり、結果的に多少はジャンプでミスがあっても、演技に大きく影響することがなかった。パトリックは、ジャンプのミスをしそうな雰囲気でミスをした。気持ちが演技に出た、その差が勝敗を分けたのです。
第4章 ソチオリンピック P197

でもね、これだけは言いたいです。「練習の時点で勝敗は決まっていた」なんて考え方、私はとても承服できない。たとえば練習でどんなにすばらしいトリプルアクセルを何度か決めたとしても該当試合でやらなかったらそれは0です。失敗があったとしても「練習の時はあれだけちゃんと決めていた」という理由であの選手は評価が高く、「練習の時も冴えなかった」という理由でこの選手は評価が低めになる、なんてことが本当にあったのなら試合の意味がない。該当試合で出したもので評価されるべきだと思います。もっといえば、けがをしてジャンプを跳べない状態でも「この選手はけがをしていなかったら本来ちゃんと跳べるんだろう」という理由でスケーティングスキルの評価が高くなるのも絶対におかしい。

ですから、私は真央ちゃんがSPでジャンプ転倒したり抜けちゃったりして16位発進だったというのはそれはしょうがない評価だったと思うんです。でも、それがもしほかの選手に起こったとしたら一律に同じ評価を受けるのだろうか……このオーサーの言い分を読んでいても疑問に感じざるを得ません。本当に試合における評価の公平性ってなんなんでしょう?

この本はオーサーがえっさほっさパソコンに向かってテキストを書いたものではなく、取材に応じた話をまとめたものになっています。私はこんな話聞かされて取材者が「はいはい」って納得できちゃう神経も正直言ってわかりません。おそらく無理言って取材させてもらっているわけでしょうから、気分よく話してもらわないといけない。だから、そのまま鵜呑みにしちゃうのでしょう。でも「試合そのもののできだけで評価されないということがあっていいんでしょうか?」と質問して、もっと深くオーサーの考えるところを掘り下げてほしかったという思いはあります。

実際、オーサーはこう言っているんですよ。

しかし同時に、私たちはファンのことを忘れてはいけません。ファンがあまりにも納得できない演技を高得点としていては、閉鎖的なスポーツになってしまいます。観客が採点に野次を飛ばすことも、また大事な意見として耳を傾けていいのではないかと思います。
第5章 チーム・ブライアンのコーチング P226ー227

それからこのくだり。もはやこれはフィギュアスケート界の審判のあり方のトレンドというか慢性的なガンだとすら私には思えてくるのですが……。

変化に正確にキャッチアップするため、私はなるべく多くの人と話します。試合に行ったら、ジャッジやテクニカルスペシャリスト、スケート連盟関係者、コーチなどどんな人でもよく話し、変化に気づくように心がけます。そして「何かあったら電話して、メールもして」と言いまくるのです。新しい採点の傾向やルールの詳細を、つねに聞き取ります。
その一方で私は、フィギュアスケートの発展途上国で、採点やルールのセミナーを行います。これはISUのためでもあるし、各国のコーチのためでもあります。2014年のオフでは、スカンジナビア諸国やチェコ、ポーランド、スロバキア、スロベニアを訪問しました。コーチ、スケーター、その国のジャッジなどがセミナーに来て、新基準にキャッチアップするのです。また、このセミナーを通じて私自身も各国のコーチから学びます。違う国の人は、違うアイディアを持っているのです。
こうして新しいルールにキャッチアップしたら、私はクリケット・クラブでレッスンしているとき採点システムを持ち出して指導します。
(略)
この夏は技術専門委員のアネット・ペッチをドイツから招きました。1980年のレイクプラシッドオリンピック金メダリストで、ソチオリンピックでは男子のテクニカルスペシャリストをつとめました。彼女は2週間クリケット・クラブに滞在し、ルール改正や運用についてのアドバイスをくれました。
たまに試合での判定が私たちの予想と違うことがありあす。そんなときは、すぐに周囲に意見を聞きます。ジャッジたちは試合後に「ラウンドテーブル・ディスカッション」という採点についてチェックする会議を行うのですが、それが終わった後に、ジャッジから意見を聞きます。するとたいてい「いまユヅルについてディスカッションで話題になったわ。この採点はこういう理由だそうよ」などと説明してくれるのです。その情報を頭に入れ、練習にフィードバックしていくのです。
第5章 チーム・ブライアンのコーチング P222-3

フィードバックは悪くないです。むしろすべきだと思います。でも公式には審判に抗議することが許されず、非公式にならばこうして意見聞きまくってジャッジングの理由も聞き出せるなんておかしいでしょ? だったら試合後に審判は全員の選手に対して公に総評としてフィードバックして、一般にも開示すべきだと思います。別に即日じゃなくたっていいんだから。フィードバックされる選手とされない選手がいるという時点で公平じゃないと思います。

だんだん腹が立ってきましたけど、この辺については以前書いたこの記事も併せてご覧いただければと思います。

ある意味、某国のスケート連盟副会長が仰せになったとかいう、ジャッジは気にせずに観客は黙って演技だけを楽しめばいいというのは当たりかもしれませんね。