女子の部からテレビをつけて、ながら見で一度見たのですが、いま6分間練習の録画を見ていて、予定のジャンプ構成はソチ五輪&さいたまワールド2014と同じだったのかとやっと気がつき、吹き出してしまいました。

maobutterflyjo

世界選手権のレベルに戻す、ってそういう意味もあるわけなのね、と。

あのときからルールが変わっているわけだから、かなりリスキーですよね。もちろん、6つめまでのジャンプ要素全部成功させたとしても、とにかく最後7つめのジャンプ要素はトリプルループを跳びますのでという前提ですし。「得意なジャンプなのに、それをわざわざ足にくる最後に、一番不利な条件で跳ぶトリプルループ」ってソチのときも思いましたが、今となっては「わざわざ足に来る最後に、どうしようもなく後がない条件で跳ぶトリプルループ」じゃないですか、これって。

で、今日みたいに2つめのジャンプ要素に出てくるトリプルループが今日みたいにダブルになっちゃうと6つめの3連続どうなるのか、いろいろやな感じ。どうするにしても最後7つめはトリプルループです、と覚悟を決めないと跳べないわけですよね。でもああやって形にしてしまうのは、ええと伊達公子さんでしたっけ?「経験が無駄になることは絶対にない」という、「大人な」演技の一つの面だと思いました。

私はやはり絶対評価主義です。その試合その試合で評価が違うのは、自分の印象と照らし合わせて納得できるかは別として、ジャッジのありかたとしては間違っていないと思うんです(むしろジャッジのありかたとして納得いかないのはたとえば知子ちゃんのPCSはいつも判を押したようにあの程度なのか、とかですよ。今日だってそうよ)。評価に一貫性を、というのは、何もこの選手のこの技術にはどんなできでもこの点数を一貫してつける、という意味じゃなくて、どの選手であってもこういう出来の場合はこういう点、ああいうできのときはああいう点を一貫してつけるということなんじゃないかと思います。私にとってはね。

なのでわかりにくいとき、微妙なときはいまいちの点がついたり、評価がわかれて当然です。GOEやPCSの評価がああいうふうに分かれるのは変だっていいますけど、本当はそのほうが健全。そのためにジャッジをああやって複数おいて極端なぶれを押さえるようにしているわけですし。最初からこの選手はだいたいGOEやPCSはこれぐらいつくもんなんですよ、ってジャッジミーティングとやらで「談合」していない証拠でもあるわけで。

でもね、スカッと決まっているわけでもないのに、無理矢理着氷しているような姿勢でも、GOEで当たり前のように審判全員そろってプラスの点数つけるとか、場合によっては転んでいるのにGOEがプラスになっていたり、PCSに至っては、どう考えてもこれってジャッジミーティングとやらで、この選手のこの項目はだいたいこのぐらいで多少上下させるって事前に決めてるんじゃないか?って思うようなことがしょっちゅうだから、なんだかつまらないって思ってしまう。

逆もしかりです。「試合回数を重ねてPCSをあげていく」なんて、いまよく考えたらアホかって話ですよ。レベルの高いことがその試合でしっかり美しくできていればジュニアだろうと現役最年長だろうと高いのが当然だし、回数重ねてようと、重ねてなかろうと、その試合で凡庸なできになってしまうのなら低めになるのが当然じゃないですか?

なので、自己採点したら100点満点中55点っていうのは、「今でも」絶対評価を信じている真央ちゃんらしいなとつくづく感心しました。ブランク明けだという点を考えたらものすごい出来の演技でただただあっぱれですけど、でもやっぱり真央ちゃんは真央基準でいけばまだまだこんなもんじゃないって思ってしまうもの。

ああ、そうだ、衣装はうまくまとまっていましたね。蝶がついているあたりは「ん、そういう意味なのか? つまりいまでいう自分の名前をロゴにして服につけるような感覚なのか」とちょっと思わないでもなかったですが、それも含めて、そして色も実に真央ちゃんらしい。衣装のラインはものすごくきれいだと思いました。ついている蝶の数もうるさくなる寸前でとどまっていて、どこかしらチャーミングな印象を受けるあたりがデザイナーさんの腕の見せ所なのでしょうね。

蝶々さんというキャラは「信じる」人、「潔い」人らしいので、そういう「まっすぐさ」が真央ちゃんに合っているように思いました。だからローリーはこの曲を選んだのでしょう。

でも、正直言えば、知子ちゃんやグレーシーのやってたことのほうがローリー・ニコルの振り付けという意味では私にはインパクトはありました。真央ちゃんやローリーがさらに蝶々さんを洗練させることを願ってます。