ご無沙汰しています。3週間前に結論だけ書き終えずにそのままになっていた文章です。3週間経ち、少し状況はちがうのですが、最後まで書いたのでアップします。

フィギュアスケートにはあまり関係ありません。もしそちらのほうを期待されているのならごめんなさい。


まだ8月に放映されたフィギュアスケートの番組はひとつも見ていなくて、勝手に「フィギュアスケート」というキーワードで録画してしまうハードディスクレコーダーの状態を確認するのも恐ろしくなってしまって放置状態……。

8月のはじめにニューヨークに家族で行きました。9.11テロの2ヶ月前に旅行して以来です。14年前の旅行では、カナダの友人の結婚式に行く途中の飛行機乗り換えついでに2泊し、日中は立て替え前のシェイスタジアムにメッツの試合を見に行きました。新庄目当てで(その日は出場しなかったんですよ……)。

新庄は最近どうしてるんだろう? 日本人選手初のワールドシリーズ出場選手ですよ(翌シーズン、ジャイアンツで実現しました)。「日本人で初めてワールドシリーズに出た選手が新庄だ」というニュースを聞いたとき、私は「それで(日本球界として)いいのか?」とちょっと吹き出してしまったんですけどね。でも、すぐに思い直しました。むしろ「一番になりたい」といった余計な欲や打算がなく、その日その日プレーできることを純粋に幸せに感じて過ごしているスポーツ選手のほうが、そういった幸運には恵まれるものなのかもしれないと思ったからです。巡り合わせってそんなものだと。

見ている私たちのほうがなんだか楽しくなってしまう、そんな新庄選手の力は、日本球界に復帰して日ハムでプレーしていたときにも誰もが感じていたはず。彼はいわゆる天才肌の選手でしたが、だからこその屈託のなさ、邪気のなさ、底抜けの明るさがありました。いくらなんでも能天気なんじゃね?と思わせるような自信家だったけど決して傲慢ではなかったし、いやな感じはまったくなかった。引退すると宣言した数日後にあっさり撤回したり、Jリーガーになりたいなんて素っ頓狂なことを言い出したりすることはあっても、他人の欠点を指摘して悪口や嫌みを言うこともなければ、他人の目や評価を過剰に意識するようなこともない。卑屈になるようなことは一切なかった。彼は一流のスポーツマンシップの持ち主だったと思います。その意味では一流のプロ野球選手。そしてスター選手というのは、成績やそのような資質に加えて、あーだこうだとご託を並べなくても見ている人たちの心をぱっと明るくできる人だと私は思います。

ともかく「根拠のない」自信、いわば自己肯定感って最近もてはやされるようになったと思いますが、今にして思えば、新庄のあのキャラはわかりやすい、よい例だったように思います。

……と、ここまで昨日書いたのですが、この春に新庄にインタビューした記事があると知り、今日読んできました。

フロントが旧態依然としてお得意様人気にあぐらをかいている、とよく揶揄されていた阪神タイガース時代はともかくとして、フリーエージェントでメッツに移籍してからの新庄選手は、本当に自分の思うままに、野球人生を楽しんでいたんだろうな……と私は勝手に思っていたわけです。

でも本人の言葉によるとそんな単純な話だけでもなかったみたい。いや、むしろさらに感心しました。

たとえば、阪神からメッツに移籍直後のこんなくだり。

些細なネタを針小棒大に扱うメディアから解放されたことで、生来の陽気さが復活した。その一方で、笑顔の裏には心情らしい気遣いも隠されていた。

「英語も話せない、友達はDVD。それで楽しいわけがない。飛行機乗るにしても『どけや』みたいな感じで、日本人の僕は最後。トレーナーにアイシングを頼んだら『自分でやれ』と露骨にいわれたこともある。でも、だからって、くよくよしても仕方ないし、自分が選んだ道に進んだのにシュンとした僕がテレビに映っていたら、日本が明るくならないでしょ? やばい、めっちゃ楽しいっていいながら、戦っていたんですよ。自分だけ耐えればいいんだって」

同じ年にメジャーリーグに移籍したイチロー選手との期待度と条件(年俸は桁が一つ違う)の違いについて。

「〝日本人初〟は全部ものにしてやろう」と奮い立ち、実際に(日本人選手メジャーリーグでの)初のサヨナラ打、初の四番と歴史に名を刻んだ。

「ほら見てみい、オレが初や。すげえだろうって思っていたら、イチローくん、MVPだった(笑)。その時にあの言葉が生まれたんですよ。『記憶は僕に任せてください。記録はイチロー君に任せます』って」

翌年、突然トレードで移籍したサンフランシスコ・ジャイアンツでの話。メジャー史上シーズン最多本塁打を記録したばかりのバリー・ボンズが在籍していました。

「選手がサインをもらいに行くのも緊張するくらい」というビッグネームにも、新庄は臆することがなかった。仮眠をとっているボンズの頭をぽんと叩き、「試合だぞ、起きろ」とフレンドリーに声をかけた。

そして日本人選手初のワールドシリーズ出場と安打(第1戦に9番DHとしてスタメン入り)。

「ワールドシリーズといっても、僕にとってはいつも一緒。ヒットも特別うれしかったわけじゃない。たしか直前までカジノで遊んでいたんじゃないかな。意外かもしれないけど、それぐらいがいいんですよ。テンションが大事だから。オレが活躍しないわけがないっていつも思ってました」

ジャイアンツは世界一を逃し自由契約になった後、メッツに復帰します。ですが、打撃不振でマイナー落ち。これはこれで未経験なので彼にとって魅力的な生活だったそうですが、球団としてはトレード先を見つけられず7月半ばに解雇され、日本ハムファイターズに入団、日本球界復帰。ファイターズでの3年間の盛り上がり、そして日本一は覚えていらっしゃる方も多いと多いと思います。

そういえば、野茂英雄選手が近鉄ともめた末に任意引退という形をとってアメリカ球界に移籍したときも、日本球界からは総スカンを食らい、メディアも「絶対に成功するわけがない、自分勝手だ」という論調でいましたよね。近鉄引退後、アメリカに渡るまでの空白期間、とんねるずの番組で全身タイツ着てモジモジくんを一緒にやっているのを見たときは、「アメリカに行くにしてもお金はあるに超したことはないから。大変なんだろうなあ。ああいうふうに飄々とテレビ出られるって偉い。すごい度胸だなあ」なんて思っていました。だって近鉄引退後、アメリカに渡る前に野茂が自分のメジャー移籍について地上波のテレビでわずかながらも語ったのって、とんねるずのもう一つの番組でしか見た記憶がないですもの。後にサッチーが、当時自分の息子(代理人の野村団氏)と野茂は日本から石もて追われるようにアメリカに渡って、それはもう見てるのがつらかった、と語ってるのをテレビで見たと私の母が話してくれたのも思い出しました。母がわざわざ私にそんな話したぐらいだからよほど母にとって印象に残るエピソードだったのでしょう。それほど、メディアは野茂選手を馬鹿にしていた。でも、ふたを開けてみればドジャースで大活躍。手のひらを返したような報道の熱狂ぶりと、オールスターで開幕投手を務めた時の中継で大特集を組んだNHKの興奮ぶりは、どちらかというと野茂選手の決断に肩入れしていた私は見ていて爽快でした。彼が一歩を踏み出して成功していなかったら、日本人選手の評価・価値は上がらなかっただろうし、新庄選手の挑戦だって実現しなかったでしょう。

やってみないとわからないことってあるんですよね。どんなに条件が不利だろうと「あんたには無理だ、やめとけ」って言われたって、ましてや野茂選手のように根も葉もないこと自分の所属していたチームに言われて、あげくマスコミ経由でネガキャンされたって、人生には経験しないとわからないことがある。それを実際に自分で決断してやってみたら悔いは残らない。気が済む。

日ハムを引退したときの新庄はすがすがしかったですよね。新庄選手は選手生活終えてみたら、通算成績は平凡だったかもしれませんが、現役時代の彼を見ていた人々は間違いなく、なんだか笑っちゃう、なんだかハッピーになっちゃう、なんだか気持ちが明るくなっちゃう経験をしているはずです。新庄はぶっ飛んでいたかもしれないけど、やなかんじ~って思った記憶はないもの。

実力はあってもそんな人の心に響くようなアスリートって意外と少ないんですよね。これを浅田真央ちゃんの復帰直前についての思いに代えさせていただきます。