ここ数ヶ月、正直言って見た目たいしたことがない、ほかの選手と比べるのも何なので、その選手の過去の演技と比べてもたいして変わってないような演技と定義しましょうか、それでも心がこもっていそうだと「指の先まで(神経の行き届いた)」という表現を使うことが批評などで流行しているのでしょうか。とにかくやたらと見かけるし、もう表現力を表現する言葉としてデフレ状態で陳腐に聞こえてくるようになったので、ほかのよい言い回しはないだろうかと真剣に考えている最中です。

指の先まで気を遣っているっていう言葉が本当にふさわしい選手ってどれだけいるのでしょうね。

去年出場した女子シングルの選手では知子ちゃんぐらいじゃないのかしら、そういう意味で認められるのは。やわらかいときでもびしっとしたときでも同じように気を遣っているのがわかる。「均整美とはなにか」を追求しているかのような「魔笛」とか。あの曲が魔笛というオペラのどこの何を描いているのかよく知りませんが、フィギュアスケートのプログラムとしてこういうプレゼンの仕方があるんだなと今でも感心しています。

おもしろいですよ、知子ちゃんといえばパントマイムという言葉を今年はやたらと耳にしますね。いいことです。それって少なくとも体全体でどう表現するかということだと思いますし。審判がモニターとにらめっこして同じところをリプレイして採点するというご時世だからこそ「顔の表情がー」というしょうもないことが強調されるようになったのかもしれませんが、会場に見に行く人たちにとってそれって最重要項目でもないでしょう? 本質からずれているような気がするのでね。パントマイムいいよいいよ。

それとですね、リズム感がいまいちで、ステップ(と腕の動作)と拍があまり合わない選手は、やっぱり指先まで神経が行き届いているようには思えないし、実際足下だけ見るときれいだったりするのにもったいないなあと思います。

といっても拍と手の動きがシンクロしすぎるのもものすごくダサくなります。たとえば、ラララララ♪ラララララ♪というフレーズがあったとして、その音の表拍すべてに合わせて手首の先を振るのは何か間違っていると思うんです。ドゥビドゥビドゥー♪というフレーズがあったとして、それすべてに合わせて手を振っちゃうとか。おそらく振り付け師の指示なのでしょうけど。裏拍のどこかだけにしておいたほうがずっとよくなると思う……。表拍に合わせるとあの曲が三三七拍子に聞こえてくるじゃないですか。

見てて思うんですけど振り付けをしていく上で、必ずびしっと合わせた方がいいポイントとなる拍があるのでしょう。音に振り付けを乗せるのがうまいとかいわれる選手ってその要所がどこなのか選んで強調するセンスがあるのだと思います。いわずもがな髙橋大輔君とか。実はアシュリーもそれ系なのかもしれません。今年はラテン音楽推しの私にはうれしいです。ラテン音楽だとおもしろいなあと思う理由の一つに、裏拍を強調したらいいフレーズと表拍を強調したフレーズがあって、それが混在していたりすることがあげられます。だからその辺をうまくやればすごくかっこよくなる。(あれダイアナ・クラールなんですか? ああいうアレンジの曲やってるんですか。スローな曲でしみじみ歌ってるイメージしかなかった)。

その一方で、たとえばドリーム・オン・アイスのリーザの演技ですけど、テレビで見る限りはそんなにいいとは思いませんでした。ところが昨日フィギュアスケートTVで「音なし」でその演技の一部が流れたとき「滑り方自体はきれいなのかも」って思ったわけです。私にとってリーザの演技があんまりぴんとこないことが多かったのは、音楽にのせたときにやってることがなんとなくゆらゆらと単調に見えてしまうからなのかもしれません。音楽の雰囲気にキャラが合っているのとリズム感がいいのは違いますしね。なんだか全体的に決めがない、メリハリがあるようでないところが「締まりがない」と思えてしまうのかもしれません。あくまでこれは私の見方です。あのゆらゆら続いていくような感じが彼女ならではの持ち味なのかもしれないし。

でもね、女子も男子も足下の緩急(長い一蹴りだけでもなければ短い一蹴りだけでもなく「緩急」のつけかた)だけで勝負できる選手はいるわけですし、誰も彼も指先どうこうこだわらなくても足下のスケーティング技術が本当にすごければ全然魅せられると思ってます、私は。

最後に昨日のフィギュアスケートTVで二つばかし気になったこと。一つ目は真央ちゃんの鐘の解説で八木沼さん?がさらっと「SPとは違うポジションのスパイラルでこれもまたすばらしい」といったことを言っていたことですかね。当時はそんなこと聞いてもただ「そうだな」と思っていたものです。

あれから5年ですか。どう考えても点数を稼ぐという意味では、ジャンプの組み合わせも含めてSPとFSのエレメンツの内容が重なっているほうが滑り込むことができるだけに有利ですし、当たり前のようにほとんどの選手がそうしていると思います。そういうことが「現行のルールに沿って加点がつきやすいストラテジーを立てられるすばらしいコーチ」という見方になっているのでしょう。でもね、私はやっぱりタラソワの美意識って個性的で際立っていたと思います。ジャンプだって改めて見ると変な入れ方していますしね。ソチはソチで真央ちゃんは単発の3A以外全部ジャンプの組み合わせ方が違っていたんでしたっけ。

(話がそれますが、いまやっと『チーム・ブライアン』を読み始めたところです。あれ、オーサーが執筆したのではなく、どうやら話を聞いたのをまとめた本だということだったので、読み物としてレトリックに工夫がなさそうという意味でいやな予感がしてしまい、ずっと図書館で順番待ちしていました。選手を勝たせるストラテジーという点においてずっとオーサーのやり方には興味がありました。)

二つ目はモロゾフ。やっぱりモロゾフは安藤美姫のできることをうまく強調していて、いい仕事していたと思います。当時はあれぐらい普通だと思ってたけど振り付けもよく練り上げられています。全然最近の彼女のプログラムとその辺の思い入れが違うし、その思い入れをスケートとして表現する力が違う。プログラムを作る方も滑る方もね。今だってやる気にさえなればスケーティングに関してもあのレベルぐらいもっていけそうなのに、日頃からこつこつ準備して磨きをかけていけばそうした技術力でも年を追っても勝負できるはずなのに、そのような風に見えないところが残念です。やっている本人もおそらくファンも、技術に関しては元々持っていた天才的なセンスの片鱗が見えればいいぐらいにしか期待していないところが本当に本当にもったいない。たとえばさっき、三三七拍子がなんだと書きましたけど、ほかのところは去年のカーニバルオンアイスよりはいい印象を受けましたよ。ショー本番であの曲を繰り返してきたからなのでしょうね。結局滑り込みの量の違いなわけで。

やっぱり、フィギュアスケートって技術。表現するには思い入れが必要かもしれませんが、それだってその思い入れを表現する技術の問題なんですよね。それを的確に表す技術がなかったら見世物にはなるかもしれないけど作品としては成立していないと思います。

このブログに「安藤美姫」というキーワードを入れて見に来る方が増えたので、感謝の意味を込めて安藤美姫について多めに考えてみました。

追記:まだ神戸公演の録画は見ておりません。あと、指先まで云々については昨シーズンのSPの佳菜子ちゃんはよかったですね。