まずは知子ちゃん、全日本優勝おめでとうございます。もうね、全日本の前までどうしてPCSがSPで30点代、FSで60点台にならないのかずっと理解できなかったし、全日本というホームでの試合でもそんな評価だったら、私はフィギュアスケート界に心底絶望していたと思います。その壁を突き破ったのは、ひとえに知子ちゃんが黙々と積み重ねてきた努力です。今までやってきたことは間違っていないので、この調子で、自信を失うことなく続けてほしいです。もし過小評価されるようなことがこの先もあるならば、それはジャッジに見る目がないか、スケート界が欲得にまみれてるだけのこと。だって、これまでもジャンプ以外のところで、プログラムごとに色んな表情を、それどころか一つのプログラムの中で緩急をつけて色んな表情(顔のことを言っているのではありません)を見せることができていた選手ですよ。ただ曲が違うだけで同じことやっている、来年も同じことをやってるであろう選手たちと違って、それは彼女のストロングポイントだと思います。知的なんですよ。きっと平昌五輪の頃にはトップになっているはず。ロシア娘たちだって目じゃない。まじで。

そして町田君ですね。私はこのエントリを書くに当たって、TwitterのTLで評判だった特集の録画を見た訳なのですが、実は見る前に「試合終わったあと町を見物するならゆっくり気ままに見て回りたいだろうに。疲れだってあるはず。カメラが入るなんて気の毒だなあ。シーズン中だよ。ますます疲れてスケートに差し障りがでてくるんじゃ?」なんて思っていたのです。でも番組を見ていくうちに、私は自分が間違っていると、浅はかであると気づきました。

この人は、自分の人生をどうしていきたいか、はっきりと見えている。そもそも町田語録はフィギュアスケートで注目されるために存在するわけじゃないんですよ。いや、確かに昨シーズンに限っていえば、注目されることが必要で、オリンピックのために手段にしていた部分はあるでしょう。でも、それも意図的なもの。

本来、彼の話すことって、もっと大きな枠組みでとらえるべきものですよね。言ってみれば一種の人生論。哲学とよく形容されますが、町田語録は、人生は長くて、フィギュアスケートはそのほんの一部だということを自覚しているからこそ存在する。

彼にとってはフィギュアスケートもワイン醸造過程を見に行くことも卒論のための勉強も、そして大学院での研究も、自分の人生を自由に生き、豊かにするためのもの。それを《教養》っていいます。まさにリベラルアーツなのです!!!(町田君に感化されてちょっと教養ありそうな言葉使いたくなりました)

さて、私は、フィギュアスケートが競技として存在する以上、正当で公平性が担保された評価が必要だと思っています。先日はまたも審判は恥を知るべきだと書いたほどです。

でも、彼は、はなっからそんな他人の評価なんてものを自分の人生の参照文献にはしていない。だって、そんなものに縛られる必要なんてないし、自分の人生を豊かにするのに必要なものですらないのだから。少なくとも、彼は見る目のない他人の評価のせいで絶望するような人じゃない。考えることはあるでしょうけど、自分で考えることによって自由でいられる人なのです。

こんな事書くとジャッジを認めているなんて思われるのは心外です。いいかげん恥を知れって思ってますから。

人生は長いです。これからも思うようにいかないことが多々あると思いますが、町田君ならすべてを糧にして豊かで自由な人生を送れると信じています。研究がんばってください。そして、自由で豊かに生きるための教養の一つとして、気が向いたら自分が思うところのフィギュアスケートをやって、作品として提供していけばいい。その生き方で間違いないと思います。