注:この記事の中では、ポリティカル・コレクトネスを無視した表現を用いております。それから、手持ちの情報から推測した部分もかなりありますので、正確さにかけるかもしれません。すでにこの但し書きの時点で不快に感じる方々は、読まずに閉じてください。

 

夫は鳶職で、身体が資本の割には、収入も決して高くないし、安定しているわけではない。子供は男ばかり4人。なかなか生活は楽ではなく、私も家計のために働いている。勤め先の美容師としての仕事には自負があるけれども、あくまで生活のため。子供のことはもちろん気にかけているが、育ち盛りのお腹をすかせないようにするだけでも精一杯。時間もお金も余裕がない。

まだ小さな末の息子は兄たちとはタイプが違う。おっとりとしていて、近所の人たちにもかわいがられているが、逆に言えば気の弱いところがどうも心配だ。同じ年頃の子供たちからいじめられているらしい。男の子なんだからやられっぱなしにならないようにと、兄たちと同じように拳法を習わせようとした。けれども、どうにも性に合わない、「怖い」といってやろうとしない。

唯一、本人が興味をもった隣の市の体操教室に、これからも一人で時間と交通費をかけて通わせるのはやはり無理だ。でも、近場にできたばかりの健保の保養所には、スケートリンクがある。「あそこではアイスホッケーを教えているんだよ。大ちゃんにもやらせてみれば?」とお客さんが言っていた。それを聞いた理髪店の娘さんが「だったら、私が見学に連れて行ってあげるよ」と申し出てくれた。

見学から帰ってきた娘さんがいうには、末息子は「あれじゃだめかなあ?」とフィギュアスケート教室を指さしたそうだ。「私もフィギュアスケートのほうが大ちゃんに合ってる気がする。よかったら私が送り迎えしてもいいし」

近所のやんちゃな男の子たちの遊びにはなかなか入れず、大人ばかりの理髪店に入り浸るよりはいい。フィギュアスケートだって一応スポーツだ。なにより本人が興味を持っているのだから。スケート靴もリンクのものを借りられるのではなかろうか。末息子はフィギュアスケートが楽しいのか、夢中になって滑っているらしい。しばらくすると娘さんが資料を渡されて持ち帰ってきた。どれどれ・・・。「リンク代? スケート靴代? 大会の参加費用?? 衣装に20万円???! 衣装は自分で作るなり何とかするにしても、大輔だけお金をかけるわけにもいかないし・・・」いくらなんでもこんな習い事続けさせるのは無理だ。

ある日、先生が「大ちゃんは誰よりも一生懸命練習していますよ。今度広島で世界大会のエキシビションがあるんですよね。生徒さんたちを連れて行こうと思っているんです。大ちゃんも是非・・・この辺でレベルの高い演技を見られるチャンスはなかなかないですし」と言い出した。息子は目をキラキラさせて楽しみにしている。費用1万円!!!? そこで兄たちも含めて家族会議・・・。大変だけど、今回だけはなんとか行かせてあげよう、と意見が一致した。

 

 

もし、生活に余裕がない自分にこんな出来事が降りかかってきたら、みなさんどうされます?

ふつうだったらあきらめますよ。とんでもないお金がかかるんですよ。スケート靴を一足だけ息子の足に合うものをあつらえるにしても、成長期に向けて足だってどんどん大きくなる。自分が面倒をみなければいけないのはこの子一人だけじゃない。いくら本人が熱心だからといっても、仮に多少の見込みがあると先生に言われたとしても、生活に余裕のない親ならばなおさら気がつかないふりをして、適当なところで手を引きます。

成功したらとんでもない収入が見込める野球じゃない。サッカーでさえやっとプロ化されたばかりの頃。まだ本田武史さんだってフィギュアスケート界でメジャーになっていない時代で、当時フィギュアスケートで成功した例として挙げられるとしたら伊藤みどりさん? でも、男の子でフィギュアスケーターに賭けて社会的に成功する姿が見えにくいあの時代、もともとこの競技に縁がある人でもない限り、1000人同じ状況の人がいたら999人はそのような道は信じないはず。

でも、このお母さんは違った。何か感じたんですよね。この子にはそれでもこのスケートを続けさせた方がいいと。金銭的に儲かる儲からないとかそういった目に見えるような打算ではなく、それがこの子の人生の支えになり、人生を切り開く礎になると。何かしらの神様を信じているならば、なにか天からの啓示みたいなもの。まさに運命。運命って自分で選ぶものだと言われますが、たくさん選択肢がある中で一つよさげなものを選ぶという意味での選択ではなく、この親子の場合、自分たちの目の前に提示されたものを謹んで受け入れるか、受け入れないか、の二択だったと私には思えるのです。

少し話がそれますが、そもそもあの時代ピンポイントでなければ、政令指定都市でもない自分たちの近所に厚生年金の保養所の一環としてスケートリンクが建つなんてありえません。国民の年金積立金をぶちこんだ施設ですよね。実際、十数年後に払い下げせざるを得なかった場所じゃないですか(でも高橋君という実績を生んだからこそ、民間の方々が参入したわけですよね)。そんな今の感覚からしたら無駄遣いの一言で切り捨てられるような建設計画は、あのタイミングじゃなければ通らない。どんぶり勘定から希代のフィギュアスケーター高橋大輔が生まれたという意味で、当時の社保庁の投資で唯一ほめられるべき成果かもしれませんよ。不信心な私でさえ、そんな偶然って、「この子にフィギュアスケーターとしての運命を授けた、環境だって与えてやったんだから、フィギュアスケートの道に進ませろ」っていう神様の思し召しだったんじゃないの?って今にしてみると思ったりするわけです。

「とってもよかった」と、くりくりとした目を輝かせながら広島から帰ってきた末息子の様子を見たときにこのお母さん、お母さんだけでなく家族全員がある種の覚悟を決めました。その「何か」を信じて、お母さんは理髪店の仕事に加えて、お弁当屋さんに働きに出るようになりました。お父さんも遠方の仕事も引き受けるようになったといいます。それだってフィギュアスケートを続けさせるために必要なお金としてはたかがしれている。最低限のことしかしてやれない。練習も大会も見に行くことすらままならない。だから末息子には口を酸っぱくして「やりたいことができるのは、先生や家族だけではなく、理髪店のお姉ちゃんをはじめとして応援してくれる、手をさしのべてくれる周りの人たちのご厚意のおかげなんだ」と言い聞かせた。「絶対に義理を欠いてはいけない。やりたいことができるのは、他人様のおかげ。それを謹んで受け入れて全力で取り組みなさい」

本人もそれが自分の運命なんだと当然のように思ったのでしょうか。それから今の今まで、周りの人たちの期待や希望、愛情をすべて自分の体の中にとりこんで一体化して、目の前に広がるフィギュアスケートという、決して平坦ではない道を進んでいきました。やらされているのとは違う。ただ素直に謙虚に受け入れたわけです。天から与えられた運命に報いるために、そして地上の人々の喜びのために、氷の上で舞うことに貪欲だった。

そんな精神を当たり前のように持ち合わせていること自体、「選ばれた人」だからこそなのでしょう。まさに「天賦の才」という言葉がふさわしい?

私がただ感じるのは、与えられた運命に対する髙橋君とお母さまの驚くべき謙虚さです。そして「大ちゃん」を温かく応援し、見守ってきた倉敷の方々の愛情に心から敬意を表します。目先の結果ばかりを追求し、何もかも損得で勘定するようなこの世知辛い世の中にあって、髙橋大輔という希代のスケーターを日本に、そして世界に送り出したのは、奇跡ともいえるできごとだと思います。

引退会見の一部を抜粋します。

−−選手として貫いてきたこと、こだわってきたことは。 ◆こだわりは自分ではあまりないと思っている。流れのままに生きてこようと。自分で強引に自分の思いを通すのではなく、(流れを)受け入れて、それをやってみて決めるというスタンス。そこだけは自分の中で常々あった。人からいろんなものを吸収しようという気持ちだけは常に持って競技生活をやってきたと思います。 演技という部分では、独りよがりの演技をするのではなく、コミュニケーションを大事にして一つにすることを心がけていたかな。その二つはこだわっているというか、自然に自分の性格の中でやってきたかなと思います。

引用元: フィギュア:「許してほしい」…高橋の引退会見詳報 – 毎日新聞.

同時にこの会見の中で髙橋君は「 自分がフィギュアスケートを本当に好きなのかわからないので、少し引いたところで見てみたい。そうしたらわかると思う」というようなことを言っているようです。それはもっともなことかもしれません。というのも「髙橋君はどういうわけか自己評価が低い」という指摘について、ある意味わかる気がするからです。おそらく彼は「なぜ自分が《選ばれて》しまったのだろう」と節目ごとに自問していたのではないでしょうか。だから今回の決断はきっと「自我とあまりにも一体化していたフィギュアスケートというものを一度切り離して考えてみたい、そのときが来た」と感じた末のことではないかと思うのです。

 

 

柄にもないことを書き綴ってしまったし、肝心の髙橋君の演技そのものについて私何も触れていないじゃないですか。

髙橋君の演技で頭をがつんとやられた気がしたのは、やはりこのケベックシティでのグランプリファイナルのブルースです。そのシーズン、私は男子の演技をほとんど見ていませんでした。で、このとき初めて彼のFSのプログラムを見たわけです。「へえ、エディ・ルイスの曲なのかあ(亡きペトルチアーニとの共演しか知らなかった)」と意外に思いました。えらくマニアックじゃないか?って。ともかく、それぐらい事前に情報を知らなかったのです。滑り出し聴いてみても「よくもまあこんなやりにくそうな曲選んだわ」って半信半疑でした。で、最初の4回転ジャンプ崩れましたが、見ていくうちに「え、何これ、この音のはまり方」って思いました。滑りもジャンプもびったんこなんですもの。音楽の解釈ってこういうことを言うんじゃね?と。そしてこてこてのブルース調。スローな三連符でリズムをとらなきゃいけない(ざっくりいえばこれも8分の6拍子、つまり三拍子系ですよね。三拍子ができる人はすごいという持論なのでまずここに注目してしまう)。すごっ。すごすぎる。

淡々とした曲に乗せてじわじわと盛り上がっていくスケーティングとケベックシティの観客たちのリアクション。そりゃフィギュアスケートは女子の習い事としてポピュラーな土地柄だから理解はあるとはいえ、ケベックシティの観客って所詮典型的なスポーツ大国カナダ万歳系、すぐオーカーナダーテーエルドゥノーザイユー♪なーんて歌い出しちまうような自国びいきの人たちなんだろうって、ものすごい先入観があったわけです。けれども、フィギュアスケートの化身は国境も文化も凌駕するんですよ。もう最後のステップのあたり、画面で繰り広げられる光景と歓声でくらくらしましたね。ああこの人は世界中の人々を自分の世界に巻き込んで虜にしてしまうんだなと。

【ニコニコ動画】≪British Euro Sport(翻訳付き)≫高橋大輔 2011 GPF FS:Blues for Klook

今から思えば、これがきっかけで、私はフィギュアスケートに対する興味を大きく取り戻すようになったのかもしれません。